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真に追求する

農業を道とし、生きる糧とするに
自然農は通るべき道であったのかどうかはわからない。

偶然にもそういうところに関わってしまった以上は
それを極めたいと言う欲求が持ち上がってくる。

先人の素晴らしい発想を基に次に進むことを望む。

現場を見ながら、次々に浮かび上がっていく問題点を乗り越えるように考える。
いつのまにか横たわる真理に突き当たっていく。

最近思うのは、宇宙的規則はどうにも出来ないということ。

その規則さえはっきりとしないのだけれども
何かしらの「決められたもの」に則る事で上手く流れていく。
その「決められたもの」をどう理解するかどうかが、
真に追求するかどうかが道を極める事になるのではないかと思う。

生まれて死ぬまで普通100年も無い。
その中でしっかりと考えられる時間はどれほどか?
限られた時間の中で地球の46億年をどうみるのか?

やれることをやってきたか?

そんな事を考えるようになってくる。

自然農に関わり、何かしらの行動を取ってきた以上
その先にあるものを求めていくのは人間として自然な事だろう。

いまや、土のなんたるかから、有機物の循環、人が生きるに重要だった事などが
判ってきている。
その先にはいったい何が待っているのだろう?

自然栽培の基準とは?などという細かい事などどうでもいい。
生きる事に必要な事
そのために何をしなければならないか?

いつまでも惑わされている時間は無いのだ。



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自然農法論の経緯

永らく感じている事がある。
岡田茂吉氏はシュタイナー氏の考えを踏襲したのではないか?と。

そのシュタイナー氏は江戸末期の日本の技術をどこかで吸収したのではないのか?

突飛な考え方ではあるが、それぞれの中身を検証すると
自然の循環を利用する農業の考え方には共通するものがある。
登場する有名人の歴史を束ねてみると繋がりを感じてしまうのは私だけか?


今現在、私が崇拝する人物は、内水護氏 次に岡田茂吉氏
最近私の思いに何かしらに登場するシュタイナー氏


思うところがあって、頭に残る人物の歴史を並べてみた。
すると何かしらの繋がりを感じてしまうのだ。

登場人物は
シュタイナー氏(1861~1925)
岡田茂吉氏  (1882~1955)
福岡正信氏  (1913~2008)
内水護氏   (1934~2005)

シュタイナー氏は日本の歴史で言えば江戸末期にオーストリアに生まれ登場する。
有名な「農業講座」は没する直前の1924年。日本暦では大正末。

岡田氏は明治が始まって14年後に生を受け1935年に「自然農法」を打ち出す。

福岡正信氏は岡田氏が打ち出した自然農法に2年遅れで自然農法を始める。
中途紆余曲折中断しながらも1975年「わら一本の革命」を出して海外にて有名になる。

内水氏は土に言及し、科学的に解明した。

これを年表に落としてみると、戦争を絡めての時代の動きを感じざるを得ません。
そして継承されているものがそこに見えてくるのです。

その思いなどは、セミナーで話したいと思います。



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